阪急・芦屋川駅



阪急・芦屋川駅(北側より)  撮影:1999年10月20日

撮影:2004年 4月 5日
南側より見た阪急・芦屋川駅
阪急・芦屋川駅(南側より)  撮影:1999年10月30日
立体交差になる前の阪急・芦屋川駅

芦屋市広報課 あしや くらしのハンドブックより



 阪神間には、現在、私鉄・JR合わせて3本の鉄道が平行に走ってるが、その一番北側、山の手を走ってるのが阪急電車だ。この芦屋川駅は阪神・芦屋駅と同じく芦屋川の上に駅がある。だから、真冬は“六甲おろし”が寒い。

 芦屋川駅は芦屋の一番西にあるので、打出からは一番遠い駅だ。拙者なんか、阪急を利用するときは西宮市にある夙川(しゅくがわ)駅を利用することもある。

 阪急は沿線に女子大学などが多いので、車内の“景色”が一番美しいとの評判があったりする。下町の打出の住民の拙者にとっては、結構羨望の的かも知れない。(笑)
 阪神やJRがカラフルな車体を採用する中、阪急はいまだに下の写真のような伝統のマルーンカラーだ。

 しかし、近年のJR・甲南山手駅のオープンで、ややこの芦屋川駅の人気も衰えた、なんて評判を耳にしたりする。
 また、どういうわけか芦屋川駅周辺はあまり賑わいがないので「芦屋川駅はもう少し東に移転する」、「いや、東にもう一つ新しい駅ができる」なんて噂をかなり前から聞く。しかし、いまだに実現しないところをみると、噂は単なる噂かも知れないな。

 阪急電車・神戸本線が開通したのは大正9年(1920年)で芦屋川停留所もその時、オープンした。阪神電車の芦屋駅と打出駅ができたのが明治38年(1905年)、JR・芦屋駅の営業開始が大正2年(1913年)だから、阪急が一番遅かったことになる。しかも、人があんまり住んでない山麓を走った。

 人のたくさんいるところに電鉄を通す方が儲かりそうに思うけど、当時の阪急電車は電車を通し、沿線に施設を作り発展させる、それが阪急電車の発展にも繋がる、って考えだったそうだ。沿線開発だね。で、宝塚に少女歌劇や遊園地を作ったりして客を誘致した。

 ちなみに、阪神間の私鉄はお互いにがっちりと手を結び、阪神・阪急・神戸の山陽電鉄は相互乗り入れをしてたり、場合によっては、行きは阪急・帰りは阪神、なんて融通がきいたりする。


芦屋市西芦屋町8にて  撮影:1999年10月29日

 ところで、阪急・芦屋川駅周辺ってば、谷崎潤一郎(明治19-昭和40: 1886-1965)の「細雪」の舞台になったところだ。“芦屋”の名が全国的に有名になったのは、この「細雪」のおかげじゃないか思う。あ、大正時代には、徳田秋声が「蒼白い月」で芦屋川の景観や精道村(≒芦屋市)の住宅地の様子を紹介してるな。

 「細雪」などが昔ほど読まれなくなった今、芦屋の名は昔ほど有名じゃないみたいだ。以前は“芦屋”って言えば、即、通じたんだけど、最近はそうでもない。
 平成5年(1993年)夏、東京方面のパソコン・ショップに通販の申し込みをしたとき、電話口で「あしやし…」って言ったら「どんな字ですか?何県ですか?」って聞かれて愕然としたぞ。(笑) このときが“無名都市 芦屋”の初体験だったけど、そのあとも2度ほどそういうことがあった。

 なお、この阪急・芦屋川のあたりは古代の一時期には芦屋の中心地だったようだ。
 付近には芦屋廃寺跡といわれる場所もあるし、昔の西国街道の葦屋駅(あしやうまや)の跡も芦屋川駅の南南東あたりが最有力候補らしい。また、近くからは寺田遺跡という弥生時代以前から室町時代頃までの複合遺跡見つかってる。





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