芦屋市立図書館分室(旧松山邸)


旧松山邸
芦屋市打出小槌町15  撮影:2004年(平成16年) 7月11日

旧松山邸
芦屋市打出小槌町15  撮影:1999年(平成11年)11月16日

芦屋市立図書館
現在の図書館
芦屋市伊勢町12  撮影:1999年11月19日

 昭和62年(1987年)7月8日に伊勢町に現在の図書館が新築オープンするまで、ここが芦屋市立図書館だった。今は打出教育文化センターの一部になってる。

 なお、「旧松山邸」って呼びかたは拙者が勝手にそう言ってるだけで、芦屋市の資料なんかにはそんなこと書いてないみたいだ。打出の古い住民以外には、ここが松山さんのお宅だったことはあまり知られてないだろう。

 打出教育文化センターのメインの建物は図書館分室の北側にある。しかし、建物の趣味が拙者の好みに合わないんで写真は撮らない。(笑)

 場所は阪神・打出駅から北に200mほどで、向かいには打出天神社がある。また、北隣は小槌幼稚園で、すぐ南は打出公園

 2階建の石造りの洋館だが、高さは今の建物の3階建てなみだ。だから、内部は天井が高くて快適。
 もともと、この建物は金庫業を営まれていた松山さん(松山与兵衛氏)宅の「松濤館」と名づけられた仏教美術収納庫だった。住居、少なくとも母屋ではなかったと記憶している

 明治時代後期の逸見銀行の建物を昭和5年(1930年)に大阪から移築されたと聞いている。北隣の小槌幼稚園の土地も、元は松山さんのお屋敷の敷地だった。松山邸の母屋は第2次世界大戦の戦火で焼けたので、ご家族はしばらくはこの建物にお住まいだったそうだ。
 また、戦後しばらくしてからはアメリカの進駐軍に接収され、そのあと警察予備隊(自衛隊の前身)も駐留してた。

 その後、昭和29年(1954年)2月17日から芦屋の図書館になってた。なお、芦屋の図書館はそれまでは前田町にある仏教会館に間借りしてたそうだ。

 もちろん、この建物も阪神大震災に遭ったが、外側は窓のアーチの石が落ちたり一部の石が割れたけど、造りがしっかりしてるからか倒壊はしなかった。しかし、古い木造の立派な門はさすがに倒壊してしまった。

 この芦屋市立図書館分室は市の財政難から、閉鎖される方向らしい。ハチマキ締めて座り込みして「閉鎖はんたーいっ!」と叫ぶほどの元気はないが、なんとか残して欲しいものだ。

 上に“逸銀行の建物”と記したが、『大阪市史』及び『大阪地区銀行動揺史概説』には「逸銀行」と記さた銀行があると西宮市在住の方からお教え頂いた。もし、上記の「逸見銀行」が正しくは「逸身銀行」なら、上記は「逸身銀行」と改めるべき。



岸本邸
芦屋市打出小槌町14にあった岸本邸
撮影:昭和38年(1963年)

京極医院
京極医院
芦屋市楠町8  撮影:1999年9月9日


 明治〜昭和初期の打出にあった洋館といえば、以前打出小槌町14にあった岸本邸と、この旧松山邸ぐらいかな?
 岸本邸は瓦葺きで、あるいは木造だったかも知れないけど、戦前にドイツ人が自宅として建築したものと聞いている。中は暖炉のある天井の高い応接間や地下室なんかがあり、完全な洋館だった。
 後に岸本公一氏のご自宅になり、改装されたのか、いくつかの部屋は畳敷きになってたが古い洋館の雰囲気を充分に残してた。洋式のバスタブだったし、トイレもちゃんと水洗式だったし…。
 ただ、ほとんど敷地いっぱいに建てられてたので、当時の一戸建としては庭がほとんどないのが淋しかった。

 あ、国道2号線山打出交差点北の京極邸もあるが、これは戦後の昭和24年(1949年)頃に建てられたものだ。左の写真だ。この建物が山打出のシンボルだと勝手に決めてる。(笑)
 あと、JRの打出村踏切北側の親王塚町にも、三角屋根の洋館があったそうだ。





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