打出のだんじり


打出の地車(だんじり)1
打出の地車(だんじり)2
打出の地車と昔の地車小屋
芦屋市春日町1  撮影:昭和53年(1978年)10月22日
この年から毎年のだんじりの曳き回しが復活した


震災後、打出神社の境内に置いてあった地車
震災後しばらく、打出神社の境内に置かれただんじり
撮影:平成7年(1995年)2月18日


夜の地車 2002年の天神祭
天神さんの境内の屋台
打出天神社の天神祭 撮影:平成14年(2002年)7月25日
 打出の“だんじり”の歴史は江戸時代の後期、1750年頃に遡るようだ。また、明治時代にはだんじりを新調したらしく、打出村の春日、南宮、若宮、西蔵の各地区がそれぞれ1台づつだんじりを持っていたそうだ。
 当時のだんじりのことはよく判らないようで、打出総代会発行の「打出のだんじりと歴史がわかる本」にも詳しいことは書いてない。

 それはともかく、大正時代のある祭の日、酔っただんじりの曳き手が、巡査を池に放り込んでしまったそうだ。(笑) で、頭に来たケーサツは「もうだんじりなんて曳いたらあかん。そんなもん売ってまえっ!」と言ったとか。

 ま、だんじりなんて静々と曳くもんじゃなく、血の気の多いのが呑んで景気よく曳くもんだから、それまでも小競り合いとか色々あり、警察としても手を焼いてたようだ。そこへ巡査放り込み事件でとうとう警察もキレてしまったらしい。

 仕方なく、打出の4台のだんじりはどっかに売られてしまい、祭の日にはお神輿だけになったそうだ。

 しかし、昭和に入り三条(芦屋市の北西部)がだんじりを新調したりして、精道村(現芦屋市)の中でだんじりを持たないのは打出だけになってしまった。
 そこで、2年ほど掛けて寄付を集め、だんじり本体は岸和田の業者に、彫刻もやはり岸和田に住む腕利きの彫師に、幕は淡路島の名人の縫師に発注され、昭和9年(1934年)に完成した。それが、写真の今の打出のだんじりだ。

 こうして出来ただんじりの曳き回しは第2次世界大戦で中断したりしたが、戦後は昭和27年(1952年)頃に復活され、昭和48年(1973年)頃まで曳かれてた。
 それからしばらくは、祭に日にはだんじりは出されてたが、曳き回しはめったにされなかった。曳き回しがされなくなった一番の原因は住民のサラリーマン化、生活や娯楽の多様化による曳き手の不足だろう。

 だんじりの再復活は昭和53年(1978年)だ。この年から毎年だんじりが打出の町で再び曳かれるようになった。右の3枚の写真がたまたま撮ってたその年のだんじりの勇姿だ。

 上の2枚が出発前、3番目のが曳き回しが終わって、だんじり小屋に入る時の光景だ。途中の写真がないのは、用事があって拙者が出掛けてたからだろう。(笑)

 だんじりの小屋入りの時は勇壮だ。だんじり小屋の前を何度も何度も行ったり来たりして、名残惜しそうに小屋に入ってゆく。

 打出のだんじりの曳き回しは、毎年10月の秋祭りのときだけだ。夏の天神祭の時は、だんじり小屋から引き出され、お囃子を打ち鳴らす。

 阪神大震災では、だんじり小屋は潰れ、中のだんじりに支えられるような格好になってた。だんじりには大きな被害はなかったようだけど、しばらくの間、青いビニールを掛けられて天神さんの倒壊した本殿前に置かれてた。左のビニールを被ったのがだんじりだ。

 これを機会に老朽化の進んだだんじりは翌年12月から2年ほど掛けて大改修された。また、上の写真のだんじり小屋も今は新しいものになってる。


撮影:平成16年(2004年)7月25日





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